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終戦 70 年特別コンテンツ、「アメリカ陸軍第100歩兵大隊」その2

アメリカ陸軍第 100 歩兵大隊
前項では第100歩兵大隊の戦歴と日系アメリカ人について記述した。
今回は1944年6月初頭のイタリア戦線での第100歩兵大隊B中隊の活動の再現を紹介する。

これらの再現活動は、欧米でリエナクト(reenact)と呼ばれる物で、戦闘に参加した兵士達を称えると共に歴史研究と後世への伝達の手段の一つとして用いられる物で、リエナクトの一つとも言える。

戦争映画なども同様の目的を持って製作される場合もあるが、映画はエンターティメントであり、正確な再現よりもストーリー性が重視される傾向にある点、注意しなければならない。

リエナクトメントとは、当時の兵士達がどのような物を身に付け、生活や戦闘をしていたかを追求するものであり、現代における制約の中で可能な限りの再現性を求められるものであろう。

日本国内でも近年、発達途上の趣味として注目され始めたリエナクトであるが、多くはユニフォームや装備の再現までで、行動や生活の再現まで行っているのはまだまだ少ない。リエナクトメントは、単に軍服を着て遊ぼうと言う物ではなく、歴史的な事実を研究し、それらの動態保存を行おうという試みでもあると考える。

ここで紹介する写真は、ハワイにある実際の”100th Battalion veterans Club”第100歩兵大隊退役軍人会が認めている、日本人による日系アメリカ人部隊の再現活動である。



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野営地の様子。

訓練キャンプや開けた後方の野営地では天幕は整然と並べる物(軍隊は終始整理整頓である)だが、前線にほど近い野営ではこのようにエリアを区切って、ランダムに展開される事もあった。

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パップテント、とも呼ばれるシェルターハーフテントは通常2人1組で張り、2人で眠る。

WW2期のアメリカ陸軍の基本の野営であり、訓練から実戦まであらゆる状況下で使用された。
現代のテントと違い、地面に敷くシートは無い。兵士達はレインコートや枯れ草などを利用して少しでも快適に眠れるよう工夫をこらした。なお、再現するリエナクター達も実際に数日間、このテントで寝泊りしている。

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大型のテントはM1934ピラミダルテント。

前線から離れた後方の野営地での宿営の場合、折り畳み式のベッドが用いられる。前線においては中隊などの本部天幕としても使用された。

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中隊本部天幕

テーブルやチェストに書類、教範、タイプライター等が置かれ野戦における事務所であることがわかる。
軍隊もまた組織であり、書類仕事とは縁が切れない。
平時はもちろん実戦においても行動、作戦の事前、事後の本部は「紙の戦争」をしているものである。
写真では、手前のテーブルで補給係り下士官が物品リストを記入している。

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通信卓には無線機が置かれ、BC-659無線機が大隊との通信を、またBC-1000無線機が小隊との通信を確保している。
さらに有線電話の交換機にも交換手が付き、野戦電話で構成された通信の管制を実施している。

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本部における給料日の1シーン。先任下士官からイタリアの通貨、リラの軍票が手渡されている。
アメリカ軍の給与の基本はもちろんドルであるが、戦地においては事前に金額を申請しておいた分の軍票で受け取る事も多かった。

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中型のテントはスモールウォールテント、と呼ばれる物で、将校用宿舎や医療用天幕として使用された。
ここでは中隊の弾薬管理天幕として使用されており、斥候に出る小銃小隊に弾薬が支給されている。

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支給された弾薬をBAR(ブローニング自動小銃)の弾倉に装填しているシーン

WW2期のアメリカ陸軍では小銃、自動小銃、機関銃の弾薬は共通であったが、支給形態はそれぞれに合せた弾薬箱で行われるのが普通であった。
小銃弾はクリップの入ったバンダリアで、機関銃弾は布ベルトに装填された状態がポピュラーであったようだ。

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補充兵の基礎訓練を実施中

基本動作は、新兵教育で実施するが部隊においても機会を見つけて行うものである。
また式典、閲兵、受閲などを行う場合は特にメンバーが選定されて訓練を行ったりもした。

基本の動作はまさに基本であり、実戦には役立たないと思われがちであるが、基礎をやらずに応用は不可能である。同時にこれらの基礎訓練が、部隊での戦闘行動にも影響するのである。


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野戦電話の有線を構成する

無線に比し、秘匿性が高く、地形地物の影響を受けない有線電話はWW2期にも多用され、その構成は重要であった。電話線の多くは埋設されたり高架されて車両などに切られぬように敷設される。

野戦電話は1対1での使用の他、前述の電話交換機を用いて各所と本部がリアルタイムに情報のやりとりをする、重要なものであった。

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本部天幕前で、座学(講義)が行われる

決して体だけを教育しようとしても戦える兵士には育たない。理論や図画を使用した講義を行い、まず頭から教育をするのである。これは再現であるだけでなく、リエナクターを教育するにも実際に有効である。

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個人用の掩体”タコツボ”を構築する

防御は歩兵の基本の1つであり、部隊が停止したならばすぐに防御できる態勢を取るため、掘られる。
主陣地、前哨陣地、予備陣地と塹壕は掘り進められ、さらにそれらを交通壕で繋ぎ、陣地は補強も行う。 防御とは終わりの無い戦闘であり、続く限り穴掘りに兵士は追われる事となる。

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掘られた塹壕に配置についた兵士

これらは簡易的な射撃用の壕であり、時間があれば更に深く、また複雑に掘り進められる事となる。

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斥候の準備を行う兵士

偽装する手段は、官給品のドーランを使用する他、ポピュラーなものであった。

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斥候(訓練)を行う兵士達

斥候は敵の配置、部隊規模、火器などを知る重要な手段で、これなくて歩兵部隊が行動することはありえない。
通常は少人数、軽装で敵勢力下に侵入するが、状況によって変わる。原則的に自分達斥候の存在を秘匿するため、携行する火器の使用は許可されない。
敵を倒す事ではなく、情報を時間内に持ち帰る事が重要である。

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KP(KitchenPatrol)と呼ばれた糧食班の活動

歩兵中隊のKPはフィールドレンジと呼ばれる野戦調理機を使用し、糧食(レーション)を支給した。食事はカロリーや栄養素が日単位で定められており、兵士達の健康と士気を保つ義務が与えられていた。

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配食が開始される。兵士達にとっては前線での少ない楽しみの一つである。

映画などでメニューに文句をつける兵士も散見されるが、その多くは後方勤務のエピソードであり、前線で戦闘を続ける兵士達にとっては携行レーション(缶詰やクラッカー程度)よりも遥かに魅力的な食事であり、温食支給と言うだけで喜んだという兵士も多い。

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食事を摂る兵士達

KPが開設された野営地においては、通常メスホールと呼ばれる食堂も開設される。テーブルや屋根となる天幕があり、雨天でも食事がしやすく図られている。同時に宿営用の天幕付近での食事は衛生的に禁止されているが、行動前後で特例される場合もあった。

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食後は食器の洗浄が義務付けられるが、大きなバケツを利用した洗い場もKPによって用意される。
洗浄ラインは5つのバケツで構成され、1つは食前の煮沸消毒用。
残り4つは残飯捨て用、洗浄用、すすぎ1、すすぎ2で構成され、専用のストーブによって沸かされたお湯とブラシによって簡単に、綺麗に洗浄できた。

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前線から下がった後方においては部隊ごとにレクリエーションが企画され、兵士達の団結の強化や士気の維持、ストレス発散として行われた。

ここでは日系兵士達に人気であった野球に興じる兵士達を再現している。
用具などは中隊の補給が管理していたり、更に上級部隊から借り受けて使用するなどがあった。
野球用具のほかフットボール、バレーボールなどの各種球技、チェス、カードなどのゲームなどレクリエーション用の物品も多く使用されている。


以上、一部ではあるが日本国内で行われているリエナクトメントについて紹介をした。

今回、戦後70年を迎えるにあたってこのような特集を行った背景には、軍装品や銃などをただの遊びの道具としてだけでなく、実際に兵士達が生命をかけて戦った時の物である事実を忘れて欲しくない、という願いがあるからである。

所属していた国の隔てなく、彼ら兵士達はそれらを身に付けて何100kmも歩き、泥の中を這いずり回り極寒、酷暑の中、強烈と言って余りある過酷な環境で過ごしていた。

良くも悪くも彼らの国と故郷への献身の結果、現代の社会が存在するのが歴史事実である。

もちろん趣味としてサバイバルゲームや軍装品のコレクションを批判するのではない。
ただ、それらの中でこの夏、70年以上前に軍務についていた「普通の人々」の事に少し思いを馳せていただければ、と願うものである。


今回の投稿に関してハワイ・ホノルルにある「100th InfantryBattalion Veterans Club」(第100歩兵大隊退役軍人会)より、以下のメッセージを頂いている。
「あなた方が日本で我々の事を紹介してくれた事に感謝します。 これらの再現写真は実に正確で、興味深い。
日本とアメリカの友好がこれからも続く事を祈ります。ありがとう。」


参考文献
「Unlikely Liberators」  Masayo Duus
「二世部隊物語」 菊月俊之
「Remembrances 100th Infantry Battalion 50th Anniversary Celebration1942-1992」  Club100.
「American SamuraisWW2 in Europe.」 Pierre.Moulin
「BCo/100bn Reenactment Group」

Photo & Text: ReenactmentGroup BCo/100bn "先任"

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